anarcho-capitalism = 無政府資本主義とは

 

 日本の政治思想史では、無政府主義、あるいはアナーキズムとは、普通は強制権力を持つ政府を廃止して、財やサービスは共同体で生産・消費されるというような思想をさしました。いわゆる左翼的無政府主義、アナーキズム、あるいはアナルコ・サンディカリズムですね。

 

 この伝統的な(左翼主義)アナーキズムは、プルードン、フーリエ、バクーニン、日本でも幸徳秋水などによってよく知られています。しかし、彼らの主張する私有財産の廃止は理論的には不可能ではないかもしれませんが、私的所有の直感に反し、また財の生産と配分についての解決不可能な難題を生み出します。

 

 無政府資本主義も、国家という強制権力による行政サービスは廃止することを主張します。しかし、国家がこれまで果たしてきた治安・裁判・国防などのサービスを民間会社にまかせ、同時にすべての財の生産・消費に対して、私的契約と私有財産制度を認めようというものです。

 

 これは主にアメリカで発達してきた思想で、政府権力の縮小、最小化を求めるリバタリアニズムのなかの1セクトとして、anarcho-capitalismと呼ばれます。Murray Rothbard と David Friedman が最も有名な論者です。

 

 

 

 「自由の倫理学」はロスバードによる著作の一つで、日本語で読めるのが何よりで、またあまりテクニカルな議論に深入りしない読みやすさがおすすめできます。

 

 この本は「倫理学」を謳っている通り、政府活動がそもそも国民全員の同意に基づいていない以上、倫理的な悪であると主張します。政府は確かに社会の治安を維持して、外敵から守ってくれることもありますが、それでもその存在自体は我々の同意に基づかない納税を強要する、つまりは強盗団なのです。

 

 ここまで言い切ってしまうスガスガしさ! これこそがロスバードの直感的な議論の魅力です。国家・政府の存在を当然視する常識に対して、単純な善悪論によって敢然と挑む、その勇気と情熱が今も熱すぎる名著です。

 

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 「自由のためのメカニズム」はD.フリードマンの代表作です。新古典派経済学に基づいて、政府の役割はほとんどすべてが民間会社によって代替可能であること、そうしたほうがはるかに効率的であることが主張されています。

 

 おそらくもう一点重要なことは、本書が「帰結主義」に基づいて無政府を主張していることです。帰結主義とは、行為自体の良し悪しを判断するのではなく、その行為によって実現する結果の良し悪しを判断するという考えです。

 

 政府が行なっているすべての業務を民間会社がすれば、はるかに効率がよくなる=税金が安くなる=保険契約料金が安くなる、という論理なのです。僕自身この考え方をもっとも支持しています。

 

 

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